昔々、私はメイクアップアーティストという役作りのためのメイクを仕事にしていました。
結婚し、一時期仕事を離れたとき、役というものの現場に遭遇した気がしました。
「嫁」という役、「妻」という役、「母親」という役…
そこには私の個性は必要なく、“○○家の嫁”として、“○○さんの妻”として、“○○ちゃんの母親”としてふさわしいのか、どうなのか…、という、周囲の人の期待や意図に多くの意識を持ち、本当の自分自身といった個性は奥に押し込んでいるような気がしていました。
嫁として、出来ない自分を値引いたり、妻として優しくなれない自分を責めたり、母親として正しいのかどうか悩まされたり…、そんな時期がありました。
そのころは、色々な出来事をとても複雑に考え、出来ない自分を責める自分が正しいと感じ、自分を責めることで「反省している、努力している」と感じていたのだと思います。
あるとき、当時10歳だった私の娘が不登校になりました。
小学生の不登校…、TVなどでその言葉は耳にしていましたが、まさか我が子が、しかもその小学校で初めての不登校児だったのです。
この娘が不登校になった原因を探せば、キリがないくらい浮かんでくるのです。
母親のしつけが悪い、幼児期の接し方が悪い、愛情不足、妊娠中の様子まで、責める言葉はあちこちから、また、自分の中から、いくらでも出てくるのです。
当時カウンセリングを仕事にしていた私は「カウンセラーの娘が不登校??」と、自分の仕事に対する自信もなくしていました。
そんな私の様子を察知するように、娘はますます元気がなくなり、あるとき
「ママ、私が居てごめんね、迷惑でしょ」と
「消えてしまいたい」と、とても怯えた目で言っていたことを今でも覚えています。
私が自分を責めたら、娘はもっと自分自身を責める…。
子どもは大人よりも直感で感じ取る力があります。
私が平気なふりをしても、娘は感じ取ってしまうのです。
それに気がついた私は自分を責めることを止める…という実験をしてみました。
その後、娘は、以前より楽しそうに、興味のあるマンガの話し、今日のTVの話し、いろんな話をしてくれるようになりました。
あるとき、娘に「学校に行かない時間はあなたが天才になるための準備の時間なのよ」と話したことがあります。これは、自分へのいい訳というか、そう思わなければやっていけない…という防衛のようなものだったのかもしれません。
でも、その後、娘は少しづつ元気になり、やりたいことを見つけ、少しづつ学校に行けるようになりました。
その後、みんなとは違う中学に行き、初めてのクラスメイトたちの中で、とても明るい自分という役になり、元気に学校に通いだしました。
娘の不登校時代、これが私にとって、憂鬱とは何か、自分を責めるとは何か、個性とは何か、それらを体験学習した時間でした。
いい嫁でも、いい妻でも、いい母でもないけど、笑っていたらいいんだ…
私という個性、娘という個性、それらにはいいも悪いもないんだ…
出来事に揺さぶられて自分を責めても、それは建設的な考えではないんだ…ということを知りました。
私達は誰でも、憂鬱になるときがあります。
だから人との交流を求めて生きるのでしょう。
憂鬱になったとき、その感情に寄り添うのではなく、「じゃぁ、どうしようかな?」
この思考の切り替え方法のひとつとして、メイクという技法が使えるのでは…と私は考えます。行動を変えることで気分が変わるのです。
落ち込む思考パターンを一旦棚上げして、ちいさな新しい行動をするのです。
新しい行動は、その後の出来事が変わり、新しい思考や感情を呼んでくれます。
そして新しい行動をした自分に対しての勇気となって積み重なっていくのです。
憂鬱な気分になったとき、そのパターンからの切り替え方法として、
セラピーメイクの本が書きたいと思い
只今、苦手なパソコンとニラメッコをしています…。
心理学+メイク http://www.1-100.com/miz/
最近のコメント